三越本店で開催されている(2013年7月10日~15日)大黄金展に行って、金に触れてきました! なんと展示には総重量1トン、総額100億円もの金製品が展示されていました。中でも新聞なんかで話題になっているのは、あの武豊騎手が騎乗していたほぼ実物大の金のオグリキャップ像。こちらは5000枚の金箔が貼ってあって、2014万円の価値があるそうです。
残念ながら、基本的に展示品に撮影禁止で手を触れることも出来ない。唯一、金に触れてみてくださいということで、入口付近に置いてある5億円相当の金塊(120キロ)。この金塊にペタペタと触って、金の波動をいただいてきました。多分なにも分かってないと思うんだけど、うちの子どもが熱心な顔して触りまくっていて、周りのひとに笑われちゃいました。でもきっとぼくも子猫ちゃんも子どもも、家族みんなで金から力をもらえたはず。そう、だからすぐに宝くじを買いにいこうと思う。
ちなみに、そのほかには仏具や刀、干支やキャラクターの加工品、サッカーボール、小判なんかもあって、楽しく鑑賞しながら金に囲まれてフワァーって金運が上がるような感覚を味わってきました。
そこでふと、金ってそもそもなんで価値があるんだろうって疑問になりました。金の価値について、さらっとネットで調べましたが、金そのものの利用価値ってのがイマイチわからない。希少性があって、見た目も綺麗だし、その輝きで気持ちが満たされるような気はするけど、それがそのまま価値になるってことなんだろうか。
いまや金は貨幣で代用されているけど、元々は金を使って物と交換していたわけですよね。金にその価値をつけると決めたのは、きっと当時の有力者だろうと思う。その人たちが、自分達がより裕福になるために金を流通させたとしたらどうなんだろう。なんとなく金って、より多く持っている人のところへ自然と集まってくるようなモノって気もする。だから、大量に金を持っている人が少量の金と物を交換して流通させても、いずれは自分の元により多くの金となって戻ってくるのではなかろうか。
・・ってなことをなぜなぜと考えても、いや、たとえ答えをポンと聞かされたとしても持たざる者には理解できないんじゃないかと思うのです。これは、営業の魔法でカミヤさんが言っている「道のつく習い事」と同様で、「金を所有する」ということ自体が型なのではないだろうか。そうすると、金を所有して増やすということを究めたときに初めて、金の本当の価値に「気づく」ことができるのかもしれない。
ぼくはいまのところ金を所有していないけど、金に直に触れて、金が欲しいと思った。なんかコレって人間が作った社会という仕組みの本質的な部分のような気がするんですよね。
すごく漠然としているんだけど、この続きは金を実際に手にしたときに書けると思います。