日本財団が東大の先生と協力してやるらしい。
正しくは『異才発掘プロジェクト(ROCKET)』
目的は、「突出した能力はあるが、現状の教育環境に馴染めず、不登校傾向にある小・中学校生を選抜し、継続
的な学習保障及び生活のサポートを提供することで、将来の日本をリードする人材を養成すること。 」
日本でアインシュタインやスティーブジョブスを見出すためのプロジェクトのようです。
ただ、思うのはこういうプログラムに乗る時点で常識的になってしまう感が否めないよね。
ちょっと変わった子どもをそこそこのエリートにするのが目的ならピッタリではあるけど、常識を超える人材はどんなものであれ作った枠の中では培養できないだろうと思うのだけど。
実施内容を見る限り、教育のやり方も常識的な型にはまっちゃってるみたいだし。考えた人がそもそも頭悪いんじゃなかろうか。これ。
こういう形でやるなら、対象を能力は高いが地方で埋もれている普通の秀才たちにして、その子たちで交流できる場を作ってあげるとかで日本官僚的な人物でも育てたらいかがだろうかと思う。それはそれで大事だし、余程効果的なような気がするんだけど。
本当の天才を自分たちの手元で管理しようとすること自体が間違いだよね。
それはゴッドコンプレックス的なもので。常識人の枠にとらわれないようにこうしてあげようとか考えている時点で、自分たちが見えない枠になってしまっているというジレンマね。
やっぱりね、ぼくの結論としては突出した天才は不遇の環境で生まれるしかないと思うわけですよ。
そういった芽が埋もれてしまっている・・というのはその程度だったってだけであって陽の目を見る才能じゃなかったと考える。
天才は後押しによって生まれ育つのではなくて、障害にぶつかって突き破っていくことによって鍛えられるものではないのかと。
ぼくもほら、それなりの能力があって周囲の3分の1くらいの時間でものごとを理解できると思っているわけだけど、その空いた時間を有効に使う努力もしてこなかったもんで。だから今もね、なにやら器用貧乏みたいな感じになっているわけですよ。
それを含めてぼくの能力というもので、たとえ環境が整っていたとしても大したものにはなっていなかっただろうと思うんです。
逆に強い気持ちが備わっていれば、どんな環境でももっとそれなりになっていたとも思うし。
それに気づいたから、今は頑張っているわけだけど。それでよかったと思う。この年齢でこの感じがぼくが望んでいたものだったんだろうなと。
だからぼくの能力を認めて加速させようと企んでくれた方々もいたけど、他力では加速できなかったわけだし。
自分を変えられるのは、自分だけなんだよね。
そういうと、その気づきを与えるためのなんちゃらかんちゃらって反論になりそうだよね。
でもその気づきもすべて、自分のタイミングだから。気づいた時にきっかけを与えることはできるけど、そのきっかけはなんでもよかったってなるわけ。
自分がきっかけを与えなくても、誰かがきっかけを与えていただろう、とね。
じゃあ気づきを与えてあげれば・・っていうのは考え方を捻じ曲げるに等しいことで、そうなると洗脳しなきゃだめだよね。
ちょっと考え方を変えてみると、もともと成功する能力がある人がいて、その子がこのプロジェクトに乗ったとすると・・・
これは成功するわけだよね。だってそのプロジェクトに乗らなくても成功したわけだから。あってもなくても同じ。でも逆にこのプロジェクトによって芽が若いままに摘まれてしまうかもしれないという面もあるわけだ。
ふむ、どうしてもぼくはこういうプロジェクトに反対したいらしいね。そんなつもりなかったんだけどなー。
【異才発掘プロジェクト実施内容】
1)発掘
全国から毎年10名程度を選抜し、5月に募集、7月に決定(予定)
条件:突出した能力はあるが、現状の教育環境に馴染めず、不登校傾向にある小・中学生
2)教育機会の提供
選抜した異才を対象に、以下のサポートを大学卒業まで継続する。
・オンライン教材での学び
自分の興味を自分のペースで突き詰められるよう個別プログラムを提供
・オンラインチューターによるサポート
・ICT機器の活用
・実業を介した学びの学校
実業(農業・調理・大工等)を通じた教科学習カリキュラムの開発
先端研内に常設の教室を開設
・先端研の教授陣や各分野のトップランナーによる特別授業
突き抜けた興味に応える特別授業を実施
・学校との調整および親へのケア