井沢元彦さん著の『「常識の」日本史』、歴史について書かれた本を読んでこんなに内容が腑に落ちることがあるとは思わなかった。面白い。基本的に歴史学者を批判するようなスタンスに立って書かれているので、反論は多々あるだろうと思う。それも心無いような罵詈雑言が想像できる。
でも、それも井沢氏がこの本の中で書いている「既得権益に守られた保守勢力の抵抗」と見えなくもない。というか、そう見える。海外に比べて日本人の歴史認識の甘さっていうのは、こういった観点での教育が行なわれないからだと思う。
歴史に色や味をつけるためには、年号の語呂合わせ暗記なんかじゃ無理だし。その背景にある隠されたエピソードを想像(推理)することをスパイスにして読み解くことも時には必要なんじゃないだろうか。そうすることで、歴史に興味を持つ人を増やすことができるし、優秀な人間が歴史学に足を踏み入れるきっかけになれば、日本の歴史観を変えていくこともできる。
そのために、このくらい突飛な内容がむしろちょうどいいし(これはこれで根拠のない井沢説も多いので)、盲信してしまわなければカジュアルな読み物として歴史と遊ぶことができるんじゃないかと感じた。
こういう本を読み、無味乾燥な史実を読み比べ、司馬遼太郎の生きた文章を読んで味わうと歴史の面白さが身体に染み渡ってくる感覚がある。ぼくはまだその入口に立っただけなのに、ゾワゾワしてくるし、もっともっと歴史を知りたくなっている。問題はあるのかもしれないけど、小学校や中学校の頃こそ、こういう切り口での歴史を語って欲しいと思う。
そうやって無難なところに着地させずに、偏らせるからこそ共感や反対のエネルギーが生まれて学問が活性化する。今の日本は社会を変えたくない、変えさせない教育になりすぎているんだろうけど。でもその結果、政治や歴史に無関心でゲームとアニメとネットとAVにばっかり突出した人材を生み出したんじゃないのかな。まあ逆にそっちを入口にして歴史に流れ込むという、昔の出版規制と私小説みたいな関係性はあるのかもしれないけど。
それにしても、この本は色々と面白い考え方を提起しているので、面白いなあと思ったものをいくつかピックアップしておこう。
●聖徳太子が憲法17条で言いたかったのは、「話し合いこそ重要だ」ということ。日本人は一神教じゃないから、すべて話し合いで決めることができる。
●タタリとか怨霊信仰が根強く、奈良の大仏もそのために建てられたが、効果がなくて捨てられた。(都を京都に遷した)
●『源氏物語』も怨霊信仰による、鎮魂の物語である。
●日本が政教分離できているのは織田信長のおかげ。信長は当時絶対的な勢力だった寺社勢力に武力蜂起させた。
●泰平の世になり、秀吉が朝鮮に出兵するのは必然だった。アレキサンダーやナポレオンと同じ。
●徳川綱吉はバカ殿ではなく、名君。綱吉は政治の仕組みを変えた上、功名とさえされていた人殺しを悪だとする今の日本人の常識を植えつけた。
・・などなど。他では聞いたことがない視点で、その当時の背景にある「常識」を持って考えれば見えてくる歴史ということで『「常識」の日本史』というタイトルで出版されたのが、文庫版になって『「誤解」の日本史』に改題したみたい。「常識」の方がピンとくるんだけど、ここに書かれていることは「常識」じゃないっていう、歴史学者からの反発があったんじゃないかと思ってしまう。
すっかり井沢派に加わってしまった気分。この調子で井沢氏の著作をいくつか読んでみようっと。