敬老の日の違和感
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最終更新日:2013/10/06
日常の気づき
このごろ老人に優しくできないぼくとしては、敬老の日ってなんなんだろうかと思うわけ。大体、いつからあるんだそんなもん。当たり前のように定着して、年寄りを敬えなんて一も二もなく勝手に押し付けられて。
ウィキによると、1947年兵庫県で「としよりの日」というものを提唱して、「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」としたのが始まりとされているらしい。
ハッピーマンデーの前は9月15日だったね、そういえば。
いやね、年長者を敬う気持ちがないわけじゃないのよ。長く生きればそれだけ色々経験しているし、今とは違う時代で頑張ってきたのもわかるし、彼らがいたからぼくらがこうして暮らせるっていうありがたみはある。
ただ違和感を覚えるのは、それが決められているってことだよね。そりゃさ、当時提唱した人たちは誇らしい気持ちかもしらんけど、それから60年近く経って今やその人たちが老人になったわけでしょ? そうしたらさ、自分達も敬ってもらいたいって思っちゃうわけなのかな。
自分たちでつくったことを後世にやらせて、自分たちが主役になろうと思うのかなっていうか、そこまで考えてつくられてないよね。
全国に広がった「としよりの日」の「としより」って表現が良くないってことで1964年に「老人の日」となって、1965年には「敬老の日」として祝日化されている。
この表現が良くないっていう意見自体が厚かましいというかね。年長者を敬う「べき」みたいな風潮を感じてしまうよね。政治的にもすでにそういう流れだったのかと思ったので、年代別の投票率を見てみた。
当時は今ほど30代の投票率が悪くなかったってことがわかるけど、やはり50代の方が投票率は高いんだね。当時の感覚だと、50代でも年寄りの側だろうしさ。意見として強いんだろうなって思う。
もーしかしたら、純粋な気持ちで祝日にしたのかもしれないけど、『野間谷村からの政府への繰り返しの働きかけもあり、国民の祝日「敬老の日」に制定された(「こどもの日」「成人の日」があるのに敬老の日がないのはおかしいと声を上げ続けたという)。』ってことのようなので。
なんかね、感謝することを義務付けられた、みたいな? こどもの日と成人の日って節句でしょ。それと同等で考えること自体に違和感あるけど、それがまかり通ってしまって作られたと思うとこのおかしさも納得できるな。
老人はさ、自分たちが楽に生きれるように世の中をつくっていくわけだけど、彼らが楽に生きるために若者が苦労するのが当たり前だって言っているわけだよね。そんなのは弱者保護っていえないと思う。ねえ、どうですか?
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