東京で生活すればするほど強く感じるのが、自分がよければそれでいいっていう『ミーイズム』。
電車の乗り降りもそうだし、電車内での行動も全部そう。
なんで階段のぼってるときにスマホいじいじしてるわけ? それは階段のぼるときにやることなの?
いちいちイライラしちゃうけど、そうやってタラタラ歩いているスマホくんの横を通りぬけて左側通行(また右側通行)を無視して駆け上がっていくのもまたミーイズムの権化。この間思いっきりぶつかって、おかげで危なくお土産のお菓子がつぶれるところだった。
何を隠そう、このぼくも同じように自分さえよけりゃいいやって感じることが多々あるわけですが。
とはいえ、程度の差はあるだろうっておもうけどね。
これってなんでかなーって思った時にふと浮かんできたのはゲームやってるときの感覚でした。
ちょうど最近はマリオカートWiiを子どもと一緒にやっているので、NPCに総攻撃されるとものすごくムカつくし、逆に自分以外は人じゃないわけだから何してもいいなって感覚になる。
こういう感覚と同じように現実世界でも、自分以外が何されても関係ないし、自分のためなら他が犠牲になってもいいよって思ってしまうんじゃないだろうか。自分だけが唯一絶対の主役で、知人友人が協力プレイヤーとすると、あとはモブキャラでありNPCみたいなもの。
もしかすると通り魔殺人とかで自分の前に10人いたら、その10人が壁になってくれればいいやってくらいに思ってしまうんじゃないだろうか。
普通に考えれば、11人全員助かった方がいいし、協力することでそれが達成できるならそうした方がいいんだけど、ほかの人を裏切って犠牲にしても逃げるってことはあるだろうな、と。
これはゲームをやっているからその感覚の延長線上に現実をとらえちゃうのかなって思っていたけど、どうやら違うよね。
ゲーム世代じゃないおっさん(じいさんばあさん)とかだって同じように自己中心的に動くし、むしろその世代の方がミーイズムが強いんじゃないかなって感じる。若い世代はたぶんまだ救える余地があるけど、50以上の人たちはもう無理だろうなあ。
つまり、これは世代による問題じゃなくて全体感として日本にはびこっている問題。もしかしたら世界レベルであるのかも。
原因はもちろん、家庭内教育の崩壊でしょうね。
父親が父親として機能しなくなっていることが、この問題の根底にはあるのだと。
ちょうどこういった問題について言及している本を2冊読んでいたので、これこそが父性の問題なんだなって思います。
ぼくも父親だけど、もっともっと多くの父親や母親にも、さらに言えばこれからその可能性がある人たちにも読んでみて欲しいなー。
ぼくはものすごくドキっとさせられました。母性寄りの子育てになってしまっていたのかもって反省し、子どもに価値観を考えさせる父親になると決めました。