過去のゲームの方が今のゲームよりも中身のクオリティが高い! ということで、スパロボを始め、いまはファイアーエムブレム聖戦の系譜をプレイしています。
なぜ過去のゲームの方が・・と思ったかと言うと、最新のゲームでも過去のリメイクなんかをよく作っているからですね。想像すると、FFなりドラクエなりそのゲームをやって育ってきた人たちがクリエイターになり、いまの技術で昔楽しんだゲームを作りたいっていうことなんだろうか。じゃなかったら、単純に売れるだろうってだけの発想かもしれないけど。
実際、過去のゲームをプレイするとインターフェースの稚拙さは感じるのだけど、その奥にある深さは計り知れないと感じます。ファミコンの時代とかさ、キャラに表情も何もないのに黒地(青地)に白抜きのあの台詞で感動できたもんね。それに比べると、いまのゲームってグラフィックスが発達して映画のような動きや表情が作れる分、技術に頼っている気がするよね。頼っているっていうよりも、溺れているのかな。
中身がなくても売れる時代ってことなのかもしれないけど。
だから、中身が充実していた時代の作品をいまのクオリティでリメイクすればいいっていう発想なのかなあと思ったりする。それはそれで、過去の作品のまま作り直してくれたらいいのに、なぜか手を加えちゃうんだよね。それが人間的な心情かな。最初から他人のアイデアに乗っかって作っているくせに、変にオリジナリティを加えようとする。まあそれか、「ゆとり仕様」にしてしまうとか。
その結果、名作と呼ばれた数々のゲームが現代において駄作としてよみがえるというわけですな(笑)
いやいや、(笑)っつってそんなん笑えねー。
こんなのゲームバランスおかしすぎるだろってくらい敵が強すぎたり、RPGなのにアクションゲームのような操作を求められたり、そういう色々に苦戦して、ムカついて。時にはゲームを壊しそうになって、思いとどまりつつもコントローラー放り投げたり。でもなぜかまたプレイしてみて、意外と簡単にクリアできたり。
そういう中からうまれる達成感によって自分自身の成長みたいなものがあった気がする。簡単にクリアできるところにハードルを設定して、乗り越える経験をさせるのは大事だと思うけど、もう無理だと諦めたくなるような壁を乗り越える経験もまた必要だよね。
昔は攻略本も攻略サイトも無くて、試行錯誤しながら時間を使って気づけたことが、いまはネット検索ですぐに乗り越えられてしまう。ゲームに限らず、世の中全体がそうなってきているから、ムダだと思うことはやりたくないっていうような人たちが増えてしまうんじゃないだろうか。
そんな環境が悪いって思うかもしれないけど、でもその環境をつくっているのも自分自身だってことに気づかなきゃいけないよね。