前にノータリン女の馴れ合いについて書いたんだけど、書き足りないから書いておこう。もうビジネス社会において大半はノータリン女だと思うんだけどさ。なんでかって、マトモな人だったら子どもを保育園に預けて放っときっぱなしの環境なんか作らずに働き方を変えると思うし、会社としても産休・育休を取ってまで戻ってきて欲しい人材なんてのはほんの一部に過ぎないと思うわけ。それでも家にいられなくて戻ってきちゃうような奴とか、そもそも人格に問題があって結婚すらできないようなのがビジネスの場にいるわけですよ。
そういうノータリンの基本理念は、今を変えないこと。これが何より重要。自分の居心地をよくしたら、あとはその環境を変えたくないって意識が強いんだろうね。だから女って決まりきったルーチンワークが大好きだし、嬉々としてルーチンを抱えて自分の価値を見つけたがる人が多いんじゃないのかな。
そのルーチンの弊害は、「これはこう決まってますから」っていう言葉だよね。もう徳川様の印籠みたいなものよ。だって、そのように決まってるんですもの。時代劇で黄門様(カクさん)に印籠を見せられたら、ヘヘーってへりくだらなきゃいけないのと全く同じ。「いや、根拠あんの?」なんて切り替えしたら、斬捨てられてもおかしくないんだよ。そうなんだよ。
これね、ちょっと視点を変えて見たらすごいことになるんだけど、自分がそのノータリンの内側に入れたら、ほぼなんでもOKになるってことだよね。だって、決まっていることに根拠なんかないんだから。印籠は「この人がこう言っているから」でもいいわけ。その「この人」という存在になったら、こっちは頭使わなくてもニコニコして「お願いします」て言えば意見を通してもらえるようになっちゃうの。それってすごく楽。
でも、そこには大きな問題点があって、そうなると思考停止しちゃうよね。理論武装して、根拠立てして、なんとか工夫して動いてもらうって作業をしなくてよくなっちゃうわけだから。
だから、仲良くなってノータリンの内側に入るって方が早いし楽なんだけど、そうやって人間関係を動かしていくとロクな人間になれないっていうか、まったく成長しないことが明らかだよね。ま、世の中にはそんな人たくさんいるけどね。「前の人がこうしていたから」ってのは何の理由にもならないんだけど、それを口にするわけねってぼくは思うし、それを口にするやつとは本当の意味でビジネスしたくないなって思う。
ちなみに、ぼくの中での本当のビジネスってのは「お互いに成長すること」。今までと全然違っていても、それが最善ならそれでいいし、過去にこうしていたってことは知っていればそれだけでいい。今と将来を考えたときに、それが必要なのかってことに頭が回らないノータリンとは本当は言葉を交わすこともしたくないよね。
表面的にニコニコしてウンウンって言いながら、いつもそんなことを考えてます。