通勤は大体いつも7時前の電車です。始発駅なので、必ず座って通勤しています。
たまに、年寄りが途中から乗ってきますが、普通に歩いて席の前に来ることもあります。
ぼくは自分がすでに座っているときは基本的には譲ることはありません。もし自分が立っていて、目の前の席が空いたときに少し離れたところに年寄りがいたら、空きましたよって声かけたり、近くに自分より辛そうな人がいたら譲ります。
まあ明らかに電車に乗るところから一生懸命って感じの人がいたら、当然席を立って譲りますけどね。
自分が座っている席を譲るかどうかは、その行為をどう思っているかによって人それぞれ異なるので、別にどっちだっていいと思っているんですけど、年寄り側の心境はどうなんでしょうか。
若者が座っているところの前に立つことで、譲ってもらおうという心理はあるのでしょうか。これは一概に言えないと思いますが、誰しも多少はあるものなのか、大多数が当然そうする「べき」って思っているものなのか。
自分自身で考えてみたときに、座りたいときはできるだけ席の前の通路に立ちますよね。それも降りそうな人はどの人かって見当つけて。
これと同じ感覚なのかな? それとも、譲ってくれそうな人を探していくのかな?
どうしても譲って欲しいって思ったら優先席に寄っていくってことはないのかな?
うーーん、やっぱりよくわからん。
弱者を労わりたいって気持ちは強く持っているけど、老人=弱者ってことになるのか? って疑問かなあ。
「ちょっと友達のところに碁を打ちにいこう・・・電車で立ってると疲れるから席を譲ってもらおうかな、はいどーも。」みたいな事を考えるとどうも釈然としない。
将来年金がどうなるかわからない(まあ無くなるでしょう)し、もらえたって雀の涙って状況が分かっている中で、今の自分達の年金を減らして将来に預けようって意識を持っていないってわけだから、そもそも自分勝手な世代なんでしょうね。
いやいや孫にプレゼントを、、。とか、そんな話じゃなくてね。この場合は身内も自分だから。
ホント老人に席を譲りましょうって標語自体が騙されてるんじゃないのか?
子どもは元気に立ってな、みたいな感じあるけど、小さいときはバスとか電車の揺れに負けちゃうから結構つらかったよ。それを保護したら強くなれないって話なら、年寄りだって電車では譲ってもらって座るって決まった時点で、電車では立っていられない身体になっちゃうよね。
こうゆう悪しき弱者保護によって、弱者がより衰退する考え方って社民党とかがよくやるよね。アホかって思う。
結論。まとまらなくなりました。
ので、OKの質問で同じようなのを見つけてきました。
「老人に席を譲る必要があるのか」