非凡な才能よりも続ける努力・・だけど非凡な才能は必要なんだよね【自助論】

通勤中の読書でサミュエル・スマイルズの自助論を読み始めた。
さいきんは日本の書籍ばかり読んでいたので、翻訳の日本語にちょっと慣れないけど、言いたいことは伝わってくる。
結構外国の書籍だと実際の事例を出して紹介することが多いよね。その付近は全部同じことが言いたいわけだからさらっと読みながら前後を拾うようにすると、変な言い回しのわかりづらい日本語に翻弄されずに読める。

まだまださわりの部分だから本質的な話はこれからとは思うのだけど、すでにグサッとくることも。

・なにか物事で成功するためには非凡な才能が必要だということ。
・お金儲けのためにやっていたらうまくはいかないこと。

上の方はその非凡な才能よりも、常日頃の努力の方がよほど大事だという文節で出てきたわけだけど、やはり大成するためには非凡な才能は不可欠なんだろう。ぼくの場合は、自分のことをそもそも何もない人間だと思っているし、下の方についても何かをやるなら稼ぎたいって思っている。
というか、稼ぐためにどうすればいいのかって考えて生きているから、そんなこと言われるとドキッとする。

事例としては、損得勘定抜きで熱中してやったからこそ画家として成功したとかそういう話だったと思うんだけど。
逆に稼ごうと思って稼いだ画家はいないのかなぁ。

自分を向上させるために読み始めて、そんなところで引っかかり手と足が止まる。
たぶん一番悪いのはそのまま思考停止に陥ることだろうと思う。だから今、悶々と考えているけどブログは更新しなきゃっていう自分の中での戦いが起こっている。

本を読んで考えることは大事だとしても、考えすぎて行動できなくなるのはマイナスだよね。きっと。
だから、どんな心や身体の状態でも書きたいと思えることの方が才能があるかないかよりも重要だと信じたい。

しかし、ぼくにも何か非凡な才能ってあるのかな。

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