地元について同僚と話をしていたときに、友達ってなんだろうか? と考え込んでしまいました。小中学校のときの狭い範囲での地元の友達、高校のときのもう少し広い範囲の地元の友達、4年間ともに過ごした大学の友達、社会人になってからの友達、、いろんなフェーズでの友達がいますよね。ぼくは社会人になってからの友達らしき友達はいなくて、飲んで語るのは大体年上のメンターみたいな人たちです。
だから友達っていうと、大学のときの仲間で1年に1度は集まって飲み会をする数人と、たまに連絡をとる中高時代の地元の数人の顔が思い浮かびます。ただ、社会人になり、とくに結婚してからは年々会う機会が減っていっています。
これはなんでかなってぼくなりに考えてみたのですが、たぶんぼく自身が(もしかしたら彼らも同じかもしれないけど)彼らに会いたいと思わなくなったからじゃないかと思うんです。久しぶりに会おうよって話になると、大抵は飲みにいきます。そこで交わされる会話の多くがいまの仕事の辛い話や愚痴で、いちばん盛り上がるのが過去の笑い話です。何年経っても、同じような話で盛り上がります。そのときの空気感は「あのころはよかったね」というもの。
ぼくとしては、学生時代が一番だなんて思っていません。いまのほうが余程楽しいし、もしもつまらない今なら過去に浸るのではなくて、今を変える行動をしていた方が時間的にも有効だと思えます。
そう考えたときに、彼らと過ごして「地元がいちばんだよね」とか「学生時代に戻りたいね」なんて言われることに同意できなくなってしまいました。もしかすると、みんなも同じように感じていながら、共通する話題として過去に帰着してしまうのかもしれませんね。
本当に過去に縛られているにせよ、そうでないにせよ、そんなような時間を過ごした翌日は飲みすぎた二日酔いの重たさしか残っていません。ついでに、財布の中身もすっかり軽くなっています。これはきっと時間とお金の浪費にちがいない。
大ヒットした『夢を叶えるゾウ』の課題の中にも、「まっすぐ家に帰る」というものがありました。この場合は同僚の誘いに乗ってすっかり酔っ払って帰ってきた主人公に対してガネーシャが出した課題でしたが。
ここでガネーシャが言っている通り、仕事が終わったらすぐに家に帰り、その時間で自分がやるべきこと、将来のために時間をつかう方が大切だし非常に有意義です。本を読んだり、勉強したり、やるべきことはたくさんあると思います。
そうした生活をしていると、過去を振り返って友達を探さなくとも、将来への志をもつ同士に自然と出会うことができます。その出会いは仕事上のつながりであったり、SNSであったり、セミナーであったりします。それに、いまはWEB上で気になる人に簡単に連絡をとることができちゃいます。前はメルマガやブログを読んでいるだけだったのですが、さいきんはよく質問します。回答してもらえるかどうかはそのときによりますが、意外と返事が返ってくることを知りました。ちなみに、ホリエモンは有料メルマガですが、質問にはすべて答えるという姿勢をとっています。
こういった返事によって次の行動の気づきがあったり、ヒントがあったりするのですが、これは質問するという行動をしなければ得られなかったことです。自分が立っているステージからよじ登るためには、同じステージにいる友達ではなくて上のステージにいる人たちと接することが近道だと思います。
そのためには、馴れ合いの関係でなく、自分自身が努力して関係を得ようとする姿勢が必要です。やはり限られた貴重な時間は過去のためではなく、これからの将来のために使いたいですよね。