アイヌの住む北海道をどうやって日本が自分のものにしたかを考えてみると、
日本がアイヌの地である北海道に移っていき、我が物顔で支配を始める。
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当然ながらアイヌの反発があり、何かの事件をきっかけに日本とアイヌの対立が表面化する。
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戦いを制して日本が支配者となる。
ということだね。この中で、何かの事件っていうのがアイヌの少年刺殺事件であったり、アイヌとの戦いにおいて日本が卑怯な手を使ったってことはそれぞれあるわけだけど。
ここでその地を支配した日本人が何をしたかというと、「同化政策」だったんだね。
これはアイヌ人を日本人にしようっていう政策で、日本人と同じ名前を与えて日本語を使わせる、そして日本人と同じ教育を施すってことになる。
そうすると何が起こるかと言うと、アイヌ人と日本人の違いがなくなり差別がなくなる。これっていいことのように思えるのだけど、そう簡単にもいかないらしい。なぜかというと、アイヌにはアイヌが大事にしてきた文化があるわけだから。
アイヌ語だってそうだし、宗教観の違いだとか慣習なんかもすべて無くして日本人として生きろっていうことになる。これをアイヌ人はアイヌ人のままとして日本人とは差別なり区別なりしておけば、アイヌの文化を日本人が理解することはないとしても、日本人の文化を押し付けることにはならなかったんじゃないかって考え方もあるね。
もしも、日本が中国に支配されて、中国の名前と言葉を強要され、中国で行なわれているような反日教育を徹底されたらたまったもんじゃないよね。だけど、それを善かれと思ってやった人たちがいるってことだよね。
今だってそうだけど、表面的な善意は結果として悪意になることって往々にしてあると思う。民主党の政策なんてのはそんなんばっかだったんじゃないのか。5年働いたら正社員雇用しろとかね。それとも、あれは狙ってやってたのかな。
そんなような歴史を井沢元彦氏が『逆説の日本史-アイヌ民族と幕府崩壊の謎-』で書いていて、「地獄への未知は善意の石畳で舗装されている」という諺を用いて表現している。これは、まさにそのとおりっていう例だよね。